松澤熊野神社神幸祭
1.松澤熊野神社と神幸祭の由緒
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(1)松沢庄と松澤熊野神社
- 松澤熊野神社は「松沢の権現様」の名で親しまれ、地域を守護し、五穀豊穣と豊漁、授子安産の守護神として信仰を集めてきました。地元の方々の言葉では「浜大漁、岡万作の神様」とのことです。祭神は速玉之男命・伊邪那美命・事解之男命の3神。中世期の荘園、松沢庄の総鎮守として、紀州熊野から勧請されたといわれています。神紋は九曜紋です。『干潟町史』 によると、松沢庄は東庄と匝瑳北条庄のはざまに成立した後発の荘園で、その支配者は千葉六党の国分氏一族に連なる土豪、松沢氏であったようです。
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松澤熊野神社
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(2)神幸祭の由緒と縁起
- 大同元年(806)、我留前(ガルマエ)と呼ばれる三川村の浦長の塩釜に、紀州熊野の神が降り立ち、同時に陰陽2つの石が光を放ちながら浜に上がりました。そして150年後の天暦9年(955)卯年の旧暦9月5日、熊野の神は、我留前氏の夢で「西の方」の「すがすがしき土地」に移ると告げ、2つの石を伴って松沢村へと遷り、これが松澤熊野神社の起源とされています。
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境内の陰陽の石(女男石:めおといし) -
遷座の際には紀州熊野にも神託が下り、宇井・鈴木・榎本等の神職が松沢村に呼ばれ、以後、彼らの子孫が松澤熊野神社の祭祀を担当してきたといわれています。そして遷座の年に因んで、熊野の神は卯の年ごとに三川浦へ御幸を行ってきました。この縁起を伝える代表的な資料が、天保2 年(1831) に神主宇井包教(寛政11年(1799)~万延元年(1860))が作成した「松澤村熊野大神三川浦御幸図」(以下「御幸図」)です。
「御幸図」には、天暦9年に熊野の神が三川村から松沢村へと遷った目的を「無窮に国内を謐(しづ)め、五穀をみのらし、百姓を豊穣(にぎわ)さむ」と述べられたこと、卯年の神幸前後3年は「三川浦に漁猟の幸ひありて」「霊験あらたなる事人の普く知る所なり」と記され、これが「浜大漁、岡万作の神様」といわれる由縁と考えられます。また熊野の神は、御自ら出現した三川の海におはまおりすることで、神威が弥増すといわれています 。 - なお、氏子を取りまとめる立場にある「左京」宮負家と「右京」越川家は、松沢への移動の際に熊野神のお宮(厨子)を背負った「宮負」と、川を越すのを手助けした「越川」が由来であるとの謂れがあります。 さらに松沢に入る前に一時留まったところが仁良の「休熊野神社(お休み権現)」であるなど、「御幸図」には記されない伝承も多くあり、今に語り継がれています。
(3)白蛇の伝承
- 熊野の神は白蛇とも伝えられています。蛇園(ヘビソネ)は、松沢の神が海からあがるとヌタって(体をくねらせて)この集落を抜け、松沢に向かっていったことに因む地名だそうです。また、松沢の昔のお年寄りは、三川浜のおはまおりでは、神輿の中にウミヘビが入ると言っていたそうです。松沢のヘビは右の目と左の目の大きさが違う、ご神木の杉の木にはヘビが住んでいて音楽を好むという話もありました。
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ご神木の杉
(4)神幸祭のルート
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神幸を氏子の方々は「じんこう」と読み、式年神幸祭を「ごじんこう」「じんこうさい」などと呼びます。また神幸の一行を迎える沿道区や三川地区では「おいで」と呼ぶのが一般的で、神幸行列が通る道筋を「おいで道」といいます。
おいで道のルートは、旧椿海をのぞむ台地の縁の集落を右周りに巡ります。「旧縁故者」と呼ばれるゆかりの家々で奉迎祭を受け、休憩場所の提供を受けながら三川浜まで赴きます。 また、還御は旧椿海を横断するルートをとっており、少なくともこの還御のルートは寛文年間(1661~73)に進められた椿海の干拓以降に設定されたものと考えられています。
「旧縁故者」の由来はあきらかでないものが多いのですが、蛇園村の「神輿休憩所」は、卯年に限ってしめかけ竹が4本生えるとの謂れがあり、「御幸図」にも記されています。 -
神幸祭のルートと椿海
(5)氏子の範囲
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現在の氏子範囲は、松沢、諸徳持、堀之内、米込、入野、長部の6地区(6ヶ村)で、旧干潟町中和村に重なります。しかし近世には、現香取市域(旧山田町域内)の府馬、志高、長岡、古内、仁良の5ヶ村を加えた11ヶ村が氏子でした。
明治4年に、現香取市域の5ヶ村は府馬の愛宕神社の氏子に定められたとのことですが、しかし、松澤熊野神社の氏子でもあるという意識は、現在にいたるまで根強く継承されています。
中世資料に「松沢庄志高村」「松沢庄仁良郷」等の表記が確認できることに加え、現在の住民の意識や祭礼への関わり、旧神職家や四天王などの縁者の居所から、中世の松沢庄域をおよそ「氏子11ヶ村」に重ねることに無理はなかろうと思われます。
もっとも入野、米込は椿海の干拓後によって成立した椿新田18ヶ村に含まれ、中世にはなかったことも確認しておかなければいけません。初めての検地が元禄8年(1695)に行われました。 -
松澤熊野神社の氏子範囲
