旧埴生郡 成田市長沼の祇園

2. 日程と内容

(1)日程

 本来の祭日である「当たり日」は7月16日・17日で、16日を宵祇園、17日を本祇園といいます。しかし近年は勤め人が多くなり、土日と海の日を掛けた3連休に行うようになっています。
 令和6年は5年ぶりの開催となりましたが、若い世代の減少により神輿の担ぎ手が揃わず、順路を短縮し、その多くを山車(長沼も松崎と同様、屋台を「山車」という)に載せて巡行しました。

祭礼準備(令和6年7月13日(土))

 山車に神輿を載せて曳くのはこの年が初めてであり、いったん神輿を城山から下ろし、山車に載せて様子をみました。神輿・山車を洗い、また幟立てと巡行ルート沿いの樹木の伐採などを行いました。

宵祇園(令和6年7月14日(日))

  1. 8時に集合し、城山と稲荷神社を掃除する。稲荷神社拝殿に注連縄を張る。
  2. 神輿に巻く注連縄を作る。神輿に幣束を入れ、注連縄を神輿の胴に巻く。
  3. 昼でいったん解散し、14時30分に共同利用施設に再集合。宮司が到着すると「お清め」のお酒をいただき、城山の稲荷神社へ移動する。
  4. 15時から神事を行う。
  5. 「出陣太鼓」を叩く。「呼び太鼓」が先導し、城山の石段を下りる。
  6. 神社の石段下の山車庫(ダシコ)で山車に神輿を載せ、出発式を行う。区長から赤飯のお振舞があり、太鼓を載せたトラックに続いて神輿を載せた山車を曳いて弁天まで行く。
  7. 弁天の鳥居の手前から神輿を肩に担ぎ、弁天の鳥居下に神輿を納める。神主によってお浜下りの神事が行われる。神輿にお神酒をかけたあと、宮司と区長の手で水を注ぐ。
  8. お浜下りの祭典で、神輿と一緒に拝んでもらった幣束を、区長と会計の2名で川向こうの弁天様の石祠に納めに行く。
  9. 残った者は鳥居の周辺で神輿を揉み、再度山車に載せて共同利用施設まで曳く。
  10. 共同利用施設で休憩後、神輿を肩に担いで半兵衛(鈴木さん)宅に行く。玄関に神輿を納めて休憩する。休憩中、祇園太鼓を交代で叩く。
  11. 共同利用施設で休憩、夕食。子どもたちのために用意したゲーム(輪投げなど)の屋台に興じる。祇園太鼓が繰り返し演奏される。
  12. 20時ころから山車を山車庫に片づけ、次に「神輿納め」。城山の石段の両側に蝋燭を灯し、「納めの曲」を笛太鼓で奏でながら神輿をあげる。稲荷神社を時計回りに3周し、神輿を拝殿に納める。最後に拝殿前で「納め太鼓」を叩く。

注連縄を作る
注連縄を作る
神輿に注連縄を巻く
神輿に注連縄を巻く
神事
神事
石段を下りる
石段を下りる
山車を曳く
山車を曳く
弁天様の鳥居でお浜下り
弁天様の鳥居でお浜下り
長沼稲荷神社
神輿を担いで田に入る
長沼稲荷神社
垣根に突っ込む
元文5年(1740)長沼村絵図
半兵衛の玄関に納められた神輿
元文5年(1740)長沼村絵図
祇園太鼓(納め太鼓)

本祇園(令和6年7月15日(月祝))

  1. 朝9時から共同利用施設で祝儀の受付と祭礼の片づけを並行して行う。お昼で解散すると、午後は14時に再集合し、宮司により城山の稲荷神社で本祇園の神事が行われる。
  2. 神輿に巻いてあった注連縄を外し、男児らが太い方を前に持ち、本殿を時計回りに3周する。かつては綱がもっと長く、子供の数も多く、端を地面に付けないよう気を付けて回ったという。最後に本殿裏手の木に巻き付け、昨日の巡行で持ち歩いた幣束を立てる。
  3. 再度「納め太鼓」を叩く。
  4. 共同利用施設で慰労会を行う。

本祇園の神事
本祇園の神事
注連縄を持ち社殿を回るく
注連縄を持ち社殿を回る
神事
神事
本殿裏の木に巻かれた注連縄
本殿裏の木に巻かれた注連縄

◎お浜下り
 長沼の祇園で最も重要なのはお浜下りで、宮出しのあと、まず弁天様に向かいます。かつては沼の中之島にあった弁天様に幣束を納め、神輿を洗うことを「お浜下り」と言いましたが、沼の干拓や根木名川の改修により、弁天様が川の向こう岸に行ってしまったため、現在は根木名川の手前を流れる副水路の、さらにその手前に立つ鳥居で「お浜下り」の神事を行っています。最近まで副水路に入って川の水を神輿にかけていましたが、副水路を掘り下げて深くしてからは、それも危なくなり、水に入らなくなりました。そして、お浜下りの神事のあと、区役員(区長と会計)で、川向うの弁天様まで幣束を納めに行きます。

(2)組織

 長沼はおよそ100軒の集落で、8班に分かれています。祇園は区の最大のイベントで、区の役員、神社役員と城山会が、実行委員会を作って実施しています。
 まず区の役員は、区長、会計と8班の各班長で合計10名おり、1年で交代します。関係機関との連絡調整や城山の清掃、神輿の煤払いなどを担当しています。

 神社役員は「氏子」と呼ばれています。3名おり、宮司への依頼や注連縄作りなどを担当しています。また城山会は、平成14年に地域で祇園の在り方を見直した際、祭りの運営と城山の管理のために結成された任意団体です。当時40歳前後の消防団を引退した世代(現在60歳前後)が中心となり、その上の世代にも顧問的な立場での入会を依頼し、結成されました。区の役員は毎年変わりますが、城山会があることによって祭りの継続的な運営が可能になりました。また成田市から入る城山(市民の森)の管理費を、祇園の運営や太鼓修理などに回す仕組みもできました。祇園囃子の継承のため練習会も開催しています。

 神職は、隣集落の南羽鳥熊野神社の鈴木宮司です。祇園祭に先立って神社役員が熊野神社から「八坂神社神璽」のお札を軒数分受け、8班の各班長が各戸に配布しています。

(3)弁天様と半兵衛家

 お浜下りの祭神である弁天様はオビシャで祀る5社のひとつであり、沼を干拓する前は、瓢箪形の沼の首部分に浮かぶ中の島に祀られていました。
 弁天様は「半兵衛の氏神」「半兵衛の持ち物」などといわれますが、半兵衛宅の敷地にも立派な氏神が別にあり、現当主によれば、氏神とは別に先祖が特別に信心していたものだろうとのことですが、その由来は、当主の親も知らなかったそうです。半兵衛の姓が鈴木であることから、南羽鳥の熊野神社を祀る神職家との系譜を推測する人もいます。

 半兵衛では、祇園の前日の朝に弁天様の周りの草刈りをし、祠の前に米の山を3つ作って帰ってくるそうです。また暮れの28日に松の枝を2本立て、30日には重ね餅をあげています。弁天様を祀るのは祇園と暮れの年2回で、今も親から言われたとおり行っているそうです。
 弁天でのお浜下りが祇園の最も大切な行事で、お浜下りが終わると、まっすぐ半兵衛の家へ行き、そこまではテンノウサマを汚してはいけないと言われていました。

弁天様
弁天様

 なお、コロナ禍で令和2年から4年間祇園が行われず、令和6年の再開にあたり祭りのあり方や経路を見直しましたが、半兵衛ご当主の意向により、引き続き寄らせてもらうことになったのだそうです。

(4)神輿と山車

 祇園の神輿は白木で作った荒神輿で、2本棒で担ぐ形です。長沼では「神輿」とはいわず、あくまで「テンノウサマ」だそうです。
 現在のテンノウサマは、地元の小川棟梁によって平成15年2月に奉納されたものです。一度子どもの祭りになっていましたが、再度大人で担ごうということになり、以前のテンノウサマよりひと回り小さく、総ケヤキで製作しました。また老若男女、特に女の子やお母さんが参加できる祭りにしようと、同時期に山車も作りました。
 以前の古いテンノウサマが、神社の拝殿に大小2基納められています。大人用と子ども用で、どちらもいつ誰によって作られたものかわからないそうです。また拝殿には3メートルを超える木太刀が1本保管されています。近隣の南羽鳥、竜台などで近年まで祇園の神輿を木太刀が先導し、これをオタチと呼んでいたことから、長沼でも祇園で使われていたものと推測されます。

 なお、テンノウサマに掛ける注連縄は、藁を足すときに端をわざと飛び出させて作り、切り揃えたりもせず、そのまま神輿の胴にグルグル巻きにしています。以前は今より長く作り、何重にも巻いていたとのことです。祭礼後、この縄だけを子供たちが持って神社を3周していますが、その際、地面につけてはいけないといわれていること、最後に社殿裏の木に掛けていることは、この注連縄に、ただの注連縄以上の意味があったことを窺わせます。

古いテンノウサマ(大人用と子ども用)
古いテンノウサマ(大人用と子ども用)
城山の石宮
テンノウサマの台座裏面
城山の石宮
心柱が屋根から台座まで通る構造
城山の石宮
平成15年に作られた神輿 
城山の石宮
木太刀

(5)祇園囃子と祇園の唄

 祇園囃子にはサギリ(サンギリ)とバカ(馬鹿囃子)があったといわれています。バカは1番から3番まであり、大太鼓1,小太鼓(締太鼓)2、篠笛の構成でしたが、今は大太鼓1と小太鼓1だけで1番と2番のみ演奏されます。3番は難しく、覚えるのが難しいといいます。笛がないので「祇園太鼓」とも呼ばれています。
 城山を神輿が出るときに「出陣太鼓」、神社に納めるときに「納め太鼓」を演奏し、弁天でもお浜下りの神事のあとに演奏されます。この3回が正式な奉納で、現在はバカの1番のみが演奏されます。半兵衛など休憩場所では代わる代わる叩き手を代えて演奏され、こういうフリーな演奏は、1番2番の通しで演奏されます。
 神輿の「納め」では、城山の石段をあがり、社殿を右回りに3周する間、笛と太鼓が神輿を先導します。これを「納めの曲」といい、笛6~7名と大太鼓・小太鼓各1基で演奏されます。太鼓は大太鼓と小太鼓を一人で叩きます。

納めの曲を奏でる笛
納めの曲を奏でる笛
神輿を先導する太鼓
神輿を先導する太鼓
社殿を3周する神輿
社殿を3周する神輿 

 長沼の祇園囃子は、昭和40年頃に大人の神輿を担がなくなったのと同時に絶えていましたが、それを惜しんだ方が昭和59年に長沼祇園囃子保存会を結成し、20年ぶりに復活させて継承してきました。この保存会が、平成14年に結成された城山会の母体のひとつになったのだそうです。現在は祭りのひと月前の6月中旬から、週3回、火木土曜日に共同利用施設で練習を行っています。
 なお、村回りのときに神輿を先導する太鼓は「呼び太鼓」「触れ太鼓」といい、「ドンドンドン、ドドドンドン」を繰り返し叩きます。また、神輿を担ぐときに歌う唄を「祇園の唄」といいます。

長沼の祇園の唄(抄)
長の長沼の 天王様はよ~ なんて恰好がいいんだろ
山で赤いのは ツツジとモミジよ~ 咲いて絡まる藤の花
あれに見えるは 飴屋じゃないかよ~ 破れ太鼓に紙の旗
入れておくれよ かゆくてならぬよ~ わたしひとりが蚊帳の外
ほれたほれたよ 何見てほれたよ~ 馬のしょんべんで地がほれた
長沼の祇園 巡行図 令和元年(2019)
長沼の祇園 巡行図 令和元年(2019)

長沼の祇園 巡行図 令和6年(2024)
長沼の祇園 巡行図 令和6年(2024)